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町衆に守護されてきたお堂とその周辺(その13)    2020年09月29日 up
 (注記は、村雀 渉さんです)


 午後は曇りで暑さもそれほどでなかったので祇園に行ってみました。四条大路が平
日午後なのに渋滞。買い物客、観光客で混雑が戻っておりました。


 祇園の四条通りに仲源寺があり、「めやみ地蔵」で知られています。由緒書きと境
内地蔵。(この由緒書きは、いささか拡大しても画像がぼやけないレベルにしてあります。 O.A )



photo 109 祇園・ 仲源寺目疾地蔵由緒




photo 110 祇園・仲源寺目疾地蔵境内



photo 111 祇園・仲源寺目疾地蔵入り口



「祇園南側」の白峯神宮前でやっと一つ見つけました。



photo 112 祇園・白峯神宮前
      阿波の内侍が持ち帰った崇徳院の遺髪をおさめた塚があり「崇徳天皇御廟」とされて
      います。聖護院の崇徳院慰霊の地蔵は「人食い地蔵」と京童にからかわれています。
     (人食い地蔵……随想──京都における地蔵信仰 (3)–2 を参照されたし。 O.I )



 堀川丸太町交差点の北西、旧聚楽小学校(現在は緊急避難地)周辺から二条城の北辺を歩きました。




photo 113 元聚楽小付近 ・検非違使跡南
      「平安京検非違使庁跡」の史跡標示石柱の南に一つ。ゴミ集積所はきのどく。




photo 114 元聚楽小付近・学校西タイル屋根
      小学校跡地の西に屋根がタイルのお堂。(珍しいのじゃないですか? O.A )




photo 115 元聚楽小付近・二条城北
      二条城の北、額に「大日如来」らしい文字あり。





photo 116 元聚楽小付近・瓦屋さんのお堂
       黒門通りの瓦屋さんの屋外展示の古瓦の中にもお堂、錠前がいっぱい。



 昨日歩いた地区と堀川を挟んで東側を歩きました。



photo 117 堀川丸太町の北東・高陽院跡
      丸太町通に面し関白藤原頼通の「高陽(かや)院邸跡」の史跡表示板の横。
      瓦葺き。延命地蔵。




photo 118 堀川丸太町の北東・上鍛冶町
      上鍛冶町。ビルの隙間・石仏2体。台座の卍のタイル剥がれかけ。





photo 119 堀川丸太町の北東・カレー店横
      丸太町通に面し京都信金の西、カレー店のとなり、台座に「昭和45年定礎」とある。




photo 120 堀川丸太町の北東・夷川町
      夷川町。竹のカーテン。内陣の幕は右に卍、左に輪宝。右に石仏2体、左は厨子。




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